VOICE.91 かんすい苑 覚楽様
ユニフォームを新調、永く愛される旅館を目指して|お客様事例
お客様へのインタビュー、導入成功事例のご紹介。
那須川河畔で昭和44年に創業され、時代とともに変化を遂げてきたかんすい苑 覚楽様。ユニフォームを揃えたことで感じられた変化をお伺いしました。
かんすい苑 覚楽様について
Q.貴館について教えてください。
遠藤若女将:黒磯温泉唯一の温泉旅館、かんすい苑 覚楽(かくらく)は那須川河畔の自然豊かなこの地で、先代の館主が1969年(昭和44年)に創業した「覚楽荘」という民宿が始まりになります。
民宿当時は温泉は引かれてなく、1975年(昭和50年)頃からはラドンガスを送ったラドン温泉を設置していた時期もあるそうですが、先代館主の「この地でお客様にゆっくり温泉でお寛ぎ頂きたい」という想いから、1987年(昭和62年)に地下1,200mを掘削し温泉を湧出させました。
そこから徐々に現在の温泉旅館(全22室)に形態を変えていき、さらに総檜造りの露天風呂や一面ガラスに囲まれた大浴場、栃木和牛をメインとした会席料理などの特徴を出し、おもてなしを意識した宿作りを進めてきました。
Q.貴館名の由来を教えてください。
遠藤若女将:“かんすい(涫水)”は漢語で「こんこんと湧き出でる水がある場所」という意味があります。
そして”覚楽”は、等覚院というお寺からこの土地を譲り受けた事から一字頂いており、楽しみを覚えるという意味があります。
Q.貴館の特徴について教えてください。
遠藤若女将:当館は、周辺の静かな雰囲気の中でゆったりした時間を過ごされるリピーターのお客様が多いのですが、最近では赤ちゃんや未就学児のお子様がいらっしゃる方も、同じようにのんびりと過ごしたいと希望される方が増えました。
そこで当館では数年前からお子様連れのご家族でも快適に過ごせるよう、赤ちゃんグッズの無料貸出しや温泉付きの広めの客室、周囲に気兼ねする事なくお食事を楽しめる個室のお食事処などを整備しており、ミキハウスが行う赤ちゃん歓迎の宿を紹介する「ウェルカムベビーのお宿」に認定されています。
Q.若女将になられた経緯を教えてください。
遠藤若女将:私は宇都宮市の出身で、旅行関係の専門学校を卒業した後、旅行会社の窓口などで働いていました。その同じ専門学校の同級生だったGM(ゼネラルマネージャー)と結婚し、義母である女将と、義母の妹にあたる支配人の元、女将業を学ばさせて頂いています。
ユニフォームについて
Q.モデルチェンジしたユニフォームについてお聞かせください。
遠藤若女将:まず始めに清掃スタッフのユニフォームを揃えました。それまで清掃スタッフは個人で用意してもらったものをそれぞれ着ていたのですが、やはりお客様とすれ違う事もある仕事なので、エプロンとTシャツを支給しました。
その後、朝食の配膳スタッフ用としてピンク色の作務衣を揃えました。それまでは緑色の作務衣だったのですが、明るい色にした事で、爽やかな朝の雰囲気に様変わりしました。
最後に受付のスタッフ用として、私も着ている事務服をモデルチェンジしました。以前の受付係は作務衣で、人によっては中にTシャツやタートルネックを着ている事もあったのですが、今回ベストとスカートの事務服タイプにし、身嗜みを揃える事で、最高のおもてなしをするという意識がより強くなり、その点をお客様にも感じて頂けていると思います。
Q.ユニフォームの選定はどのように決めましたか?
遠藤若女将:今までユニフォームは全てトップが決めたものを着用していましたが、配膳スタッフ用の作務衣を新しくするに当たり、みんながワクワクするユニフォームにしたかったので、スタッフ同士で相談して決めてもらいました。その効果もあったのか、着用しているスタッフの顔つきが驚くほど明るくなり、どんどん女性として素敵になっていきました。
Q.これからの貴館の展望をお聞かせください。
遠藤若女将:当館はもうすぐ半世紀を迎えますが、ここまで続けてこれたのはお客様に”楽しさを覚えてもらう”為、時代の流れに合った変化を続けてきたからだと思います。直近では来年(2018年)貸切風呂の増設と近年増えているインターナショナルなお客様に対応したおもてなしなどを視野に入れつつ、永く愛される温泉旅館になるよう精進していきたいと思います。
Q.最後にユニフォームに求めるものを円グラフにしてください。
取材にご協力頂き、誠にありがとうございました。
お客様情報
会社名 | かんすい苑 覚楽 |
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所在地 | 栃木県那須塩原市 |
設立 | 1969年(昭和44年) |
資本金 | - |
従業員数 | 54名 |
事業所 | 旅館 |
事業内容 | - |
ホームページ | https://www.kakuraku.com/ |